旧尾県学校(尾県郷土資料館)へ

 明治初期に山梨県内各地に建築された藤村式と呼ばれる和洋折衷の学校のうち現存する5番目、都留市の旧尾県学校(現尾県郷土資料館)を観に行きました。
 Wikipediaで“藤村式建築”を調べたらそこに見覚えのある写真がありました。
 先週最終回だったテレビ朝日木曜ドラマ、“虹色カルテ”の“虹ノ村診療所”です。
 これは確かめに行かなければなりません。
 フォルッアで8時10分に出発。134号線この時間西浜から柳島渋滞です。宮ケ瀬方面へ向かう一般道の渋滞は間違いありません。それを避けるため圏央道から新東名方面最終出口が伊勢原の先なのでそこまで高速を使うことにしました。

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 茅ヶ崎海岸ICから伊勢原大山ICまでおよそ15分で着きました。ICを出てほんの少しだけ広い新しい道ができていましたがそれから先はロカールロード。途中で多くの車が右折する交差点がありましたがボクはあえて“日向薬師”の方へ向かいました。
 日向薬師から七沢温泉へ。一度スペイシー100で通ったことがありますがかなり細い山の中の道だったんですね。
 七沢温泉を通り県道64号に出てきました。かなり大回りになったみたいです。
 宮ケ瀬鳥井原園地でトイレ休憩。今日はバイクの数は10台もありませんでした。

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 そこから都留へは秋山道で行きました。“道の駅つる”の先、リニヤ見学センターに上がる前の細い道に入ります。昨日ストリートビューで見ておいたので躊躇なく走れます。
 見覚えのある石垣。階段の前にフォルッアを停めて一緒に写真を撮ろうかと思いましたがそこだけ側溝のふたが穴あき金属でサイドスタンドがはまりそうなのでできませんでした。

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 旧尾県学校は稲村神社の敷地内に建っています。移築ではなく津金学校と同じようにできた時からこの場所だということです。
 その神社の敷地にフォルッアをおかせてもらって見学です。
 入場無料。靴を脱いで上がります。
 中からおじさんが出てきて
「テレビを見て?」
と聞くので
「ん?ああ‥、甲府駅前や津金にある建物と同じ造りの建物でしょ?」
とごまかしたら
「明治村にもあってねー。」
といろいろ説明してくれました。

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「地元の寄付で建てたんですって?」
「寄付と言ったって、半ば強制でしょうね。そのために借金したらしいし。食べる物だってなかったし。」
 確かに旧制中学への進学者もわずかだし、途中退学も多く、ほとんどの女子は通っていないと説明に書いてありました。
 畑仕事、お蚕さんの仕事をしなければいけない子供がほとんどだった土地だったみたいです。
 明治政府がお金を出し、地方にその力を見せつけるためにこのような見たこともない建物を造ったのかとばかり思っていましたが違ったのですね。
 近代国家になるため、富国強兵は明治政府がやるが、教育は“自助”でということでしょう。
 その教育も西洋風教育は“自由思想”“個人主義”になっていくのでそれを阻止するために“教育勅語”が出てきたとか。そんなこともパネルの説明にありました。
 ”教育に口は出すけど、お金は出さない。”
 100年経ってもこの国の為政者の考えることは変らないのですね。

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 最後に
「虹色カルテのテレビ見て来る人増えましたか?」
と聞いたら
「増えましたね。」
と言ってました。
 松崎では20年ぐらい前、綾瀬はるかが10代の頃の “世界の中心で愛を叫ぶ”のロケ地マップがあるのだから、ここも地域おこしのひとつとなるのではないでしょうか。
 でも、“虹色カルテ”は“セカチュー”ほど話題にはならなかったし、ボクも“監察医朝顔”はきちんと見ていたけど、“虹色カルテ”はそうでもなかったからなあ。

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 1時間ほどゆっくり見学して“道の駅つる”に戻りました。この地で採れた野菜などが売っています。
 レストランメニュー写真を見ると“自然薯定食”(1045円)が美味しそうだったのでここでお昼にすることにしました。
 なめらかな自然薯に豚の角煮、つみれ汁味付けは田舎風。美味しくいただきました。

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 帰りは道志道経由山中湖~箱根。今日はまだ時間が早いのか湯本付近の渋滞もそれほどではなく、3時半には帰ってきました。
 走行219.5㎞ガソリン5.64ℓ。38.9㎞ℓでした。

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